マルコス・ホフーリの武生への旅
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高野:
ホフーリさん、あなたは、本年6月に作曲家の細川氏が監督をする音楽祭に招聘され、日本の小さな町武生市に滞在しました。そこで細川氏のギターのためのフォルクローレな曲を初演しました。この音楽祭とあなたの演奏を直に体験することが出来、気が付いたことがあります。それは、のんびりとしたその土着的とも言えるような武生の雰囲気に対して、あなたがある種芸術的親和性というようなものを示したという事です。決して武生が伝統に満ちた文化的環境にあるわけでもなく、観光資源に溢れているというわけでもありません。しかしここの雰囲気というのは、世界中の大都市で永く失われたものです。あなた自身チューリッヒ近郊の出身で、今もってそこで生活をしています。日本での最初の日々を、全く個人的な印象として述べていただけませんでしょうか。特に、地方の小さな町武生での日々ということになります。
ホフーリ:
先ず、日本どころか極東へは初めてだったという事を予め申さなければなりません。そういった訳で、各々の体験が日本の典型なのかそれとも武生独特のものなのかも往々にして分かりませんでした。たとえば飛行場からの途上、直ぐに多くの水田に目を奪われました。それも所々手植えをしているのです。汽車は、大阪、京都と言う大都市を通過しなければならなかったにも拘わらずにです。因って、私は最初から田舎の側面を垣間見たのです。もし東京に着いていたならきっと違う印象を受けたのでしょうが。他方、パリやベルリンやロンドンといった大都市でもある一角に入り込むと、突然小さな町のもしくは村の風情に出くわしていつも驚かされたりするものです。
第一印象といいますと、何よりも迎えてくれた人々の特別に真心のこもった応対でした。いまでも彼らのことを嬉しく思います。それに武生で片っ端から食べることが出来た申し分の無い食事です。自分がまるで小さな子供であるかのような思いをすることが多々ありました。たとえば、これは一体どんな味がするのか、何を出されるのか、食べ方も分からず、何も読めず、まるで自分はまともに躾されていないかのような、「きっと今、なんか間違いをしでかしたのでは」というような気持ちを度々味わいました。これは、大変面白い体験でした。反対に接待側も、私に「宜しいですか?」と非常に気を使ってくれました。きっと彼らも私同様に不安と戦っていたのでしょうね。
何よりも小さな町で目に付いたのは、殆どヨーロッパ人が居ないということです。つまり直ぐに目立つということでもあります。京都でも数日を過ごしましたが、そこは外国人慣れしていて、むしろ片言で英語が使えるという按配でした。
また目に付いたのは、スイスに比べると若者や子供たちが大変にはにかみやであったという事です。教育システムが全然違うのでしょう。反対に躾という点では、非常に似ているように思われました。文化の相異という観点が根強い一方、多くのことで人がやることは世界中皆同じと思うのです。
あと、フォルクローレという言葉について一言。この言葉はドイツでは意味に含みを持っていますね。ブレヒトの言葉を思い浮かべてみましょう。「民族というのはその集合を指して ら し さ と言う対象ではありません」。民謡編曲と言えば、専らバルトークに見られるように民謡を標本したりする例や、または自国の民俗音楽を徹底的に取り扱う作曲家などの例があります。この脈絡で言えば、私の場合、琴奏者との出会いや彼女の奏法の流儀がもたらしたものが絶大です。このことが私のインスピレーションに直に影響を与えました。(続く)
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