マルコス・ホフーリの武生への旅 2/3 (前より続く)
高野:
あなたが寺院コンサートで演奏したギターと、琴の類似性という事を「Mostly
Classic」誌上で沼野雄司教授があらためて述べています。チターにも似た13弦(二本弦から八十本弦までの拡大の中で)の琴は、日本においてだけでも約1800年ほどの歴史があります。多くの琴演奏家が楽器表現の新たな可能性を求めてきました。そして見付けたその一つが、西洋の現代音楽の開拓領域でもあったわけです。琴のために数多くの現代の曲が作曲され存在します。前述のお寺でのコンサートでは、あなたはトーマス・ラウクのギターソロのための「夜の影」を演奏しました。その作品と演奏は、非常に好意的に迎え入れられました。ギターと琴の相性というようなものを認めますか、更に琴における表現の可能性があなたのギター演奏に影響したのでしょうか?
ホフーリ:
先ず質問に答える前に少し説明が必要と思います。トーマス・ラウクの「夜の影」は非常に特殊な曲です。ギターは、テーブルの上に置かれ、チェロの弓やねじやガラス玉で扱われるのです。表面上は、典型的な西洋の前衛として記すことが出来ます。同時に作曲家は、2500年以上前のエトルリアの彫像からの印象を曲に盛り込みました。彼自身、この曲を前衛音楽というよりもイタリアのベルカントの歌う音楽として認識しています。
この寺院コンサートにお呼びがかかって直ぐに、「この曲を演奏したい」ということは私には明白でした。出来るなら机の上でなくて床の上で、もしくは日本の低い机の上で演奏したかったのです。実際、私は跪いて、低い机の上の楽器を演奏したのです。この曲自体は、本来殆ど日本との繋がりを持たなかったのですが、この旅行を通じて、周囲の状況の変化につれて日本の曲となったのです。旅路を経て突然変異して違う曲になったこの曲の「道程」というものに私は魅了されてしまいました。熱狂的に反応してくださった聴衆もこの「旅」についていくらか理解して頂けたものと思います。居合わせた住職の和尚は、それどころか私に「禅の瞑想にも素晴らしい曲ですね」とおっしゃいました。
ギターと琴の相性の質問に戻りますと、全ての文化に發弦楽器がありどれも似ています。と同時にそれぞれが見違えることの無い個性を持っています。この楽器の豊饒に、呆れ、興奮してしまいます。私がバンジョーやエレキギターの作品を演奏するのもそれ所以です。琴に関しては、細川俊夫氏が私と私のギターからその音色を引き出したのです。もちろん琴の音色は、私の演奏に大きな影響を与えました。他の曲については、また他方面からももちろんインスピレーションを得るのです。(続く)
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