マルコス・ホフーリの武生への旅 3/3 (前より続く)
高野:
お寺でのあなたの演奏への様々な意見を聞きますと−残念ながら演奏会には同席出来ませんでしたが−コンサートがイベントに変容したようです。あなたの直感的な芸術的決断に反応し、その場の環境への同調に呼応したのは、聴衆の純粋で飾らない知覚力です。こうして、初めてこの「イベント」が成立したのです。ここでは現代音楽でいう西洋の「前衛」が、闘争性や実験性を持つ事も無く、むしろ熟した形で作用したのではないでしょうか。そのイベントは、一つのコンセプトとか見せ掛けの多文化許容を媒介したのではなくて、多方面から相対化された様々な観点を身をもって経験出来る機会となったのです。現代音楽という概念を、たとえば中世のアルス・ノヴァと比べてみます。その当時の新しいスタイルは、其れより古いアルス・アンティクアに対応しているだけでなく、同時にその時代と音楽ジャンルをも包括しています。これは「現代音楽」を把握するときにも参考になるでしょう。テオルボ奏者でもあるあなたは、ルネッサンスにまで遡る音楽をも演奏します。そこでは、多くの学術的な研究や示唆が多く存在します。それらの古楽を演奏する場合にも、前衛音楽で示したような自身の直感に導かれて、自ずと生ずる観点の変化というようなものを体験するのでしょうか?
ホフーリ:
直感というものは、大切なもので、恐らく全人類にとって常に寄り添うパートナーでしょう。芸術だけでなく日常の生活においてもそうです。多くのアイデアは、直感から生まれます。時には惑いもありますが、それに分析や省察が組み合わせられるときに、必ず良いものとなります。全く納得のいくアイデアがある時、其れが直感から、それとも省察から導かれたのかを認識することなく、更にその双方の混在する思考であることも認識する事もなく往々にして終えてしまうのです。どの様に思考するべきかの決まりは、幸運にも芸術においてはありません。なるほど学問においては、むしろ一つに凝り固まった学術的思考では創造的アイデアには至らないという事もありえます。
其れでも、私のルネッサンス音楽へのアプローチを特に直感的だというつもりは毛頭ありません。直感はいつも私の思考の一部分であって唯一のものではありません。たとえばルネッサンスのリュート幻想曲を研究するとき、殆ど現代的で知的に徹底したアイデアにいつも唖然としてしまいます。当時、ダウランドやモリナーロ、ムダーラのような作曲家達は、首尾一貫して音楽に立ち向かいました。そこには、ようやく大分後になってミュージック・セリアルや電子音楽の観点から再び扱われるアイデアをも見出す事が出来ます。全世界をモデル化したような個々の曲が存在します。完全五度の音程を隣り合わせて並べていくと12音目に円環して自らに戻る五度音程圏図や時計の12等分された文字盤は、初めて16世紀に周航された地球を象徴しているのだと感じるわけです。そのような解釈自体ももちろん分析と直感のミックスなのです。それらは実証されるものではなくとも、唯の思弁以上のものなのです。
高野:
興味深いインターヴューと日本旅行報告、ありがとうございました。さらなる面白い制作を期待して、今後の協調を楽しみにしています。
日本語訳 高野資正
リンク: プロフィール マルコス・ホフーリ
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